序文
他に旅行案内誌が無かった訳ではないが、私の旅のガイドは時刻表(日本国有鉄道)であった。巻頭の路線地図や巻末の宿案内を頼りに個人旅行や出張に利用したものだ。今考えても旅先の情報はそれで十分であったと思う。
初めて足を踏み入れる街は、まるで未知の世界に引き込まれるようであり、それは国内でも海外でも変わらない。自分だけが別の存在に感じるのはそんな時だ。
まして小さな集落などは、迷い込んだ子羊の様にビクビクし、反面そこにいる自分自身にわくわくしているのだ。多くの情報を収集して行く先々の観光場所や宿の設備、レストランの他人の評価を得て出掛けるのは旅ではない。
旅先の事は大凡で良い。多くの偶然も楽しいものなのだ。旅はロマンと冒険。「どこか遠くへ行きたい」、誰もが平等に与えられた夢なのだ。しかし、世界を見れば夢のままで終る人の方がはるかに多い。
旅ができることは、生まれた国や境遇に感謝をすることだ。自分だけでは決して成し得ない事だから。

 

竹富島慕情
その昔、八重山諸島へは大阪から船で2泊3日揺られ石垣島に着いたことがある。那覇からの船も何度も利用した。最近は日本本土からとても近いものとなった。そしてこの10年、格安航空会社の参入でお客層も変わったような気がする。
竹富島にもリゾートというホテルや、集落内にも小規模のホテルが出来た。しかし、観光客の過半数は2~3時間立ち寄りの団体である。それも小規模な団体が増えてきた。平時であれば今や八重山は国内旅行のドル箱で、旅行会社も客取り合戦に必死で本当の意味の観光は提供していない。相変わらずなのは島々を一日で周るツアーで、海が時化ていても雨天でも予定通り、1日で4島巡りを行う。疲れ切った観光客を目にすると、可哀そうでならない。
観光のスタイルを選ぶのは旅人自身であるが、八重山の観光は余裕を持った観光で来て欲しい。
日本最南端の八重山諸島はいつまでも遠い存在であって欲しい。
36年前、私は竹富島の景観や集落、伝統行事には殆ど興味がなく、テレビで放映された青い海をどうしてもこの目で見たいという気持ちで訪れた。その時は竹富島4泊、西表島3泊の旅であった。
それ以来、竹富島の様変わりを見続けている。
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今から36年位前の話である。西の集落からコンドイビーチに行く道が二筋あり、双方とも南の集落からコンドイに出る道と重なりビーチに出る。合流するまでは一つは桑畑を通る細い道、もう一つは照葉木(やらぼ)の高木が茂りそこだけトンネルとなった道だった。勿論舗装ではない。
どちらの道も好きで轍があるもののほとんど車は通らない。やらぼのトンネルは今の環状線のちょうどゴミの焼却場から出た交差点あたりであった。
私の訪れる時期のせいか、そもそもなのかコンドイビーチの入り口には自転車もなく、売店バスもなかった。カイジ浜も同様だ。コンドイは今以上に綺麗だった様な気がする。余計な建物もない、海岸べりに木陰もたくさんあった。
私が一日を過ごすのはコンドイ浜とカイジ浜の中間くらいの砂浜で、そこはオオハマボウ(ゆうな)の木がヤシのように海岸に突き出ており絶好のパラソルになるのだ。選んだ木が倒れるまでの4年間くらいは毎年そこに陣を構えたもので、ゴザを敷き、ロープを枝に掛ければテレトリーの完成である。
陣地の前も遠浅で砂浜ではないが、その代り波打ち際からもサンゴが見え、浮遊するクマノミもはっきり見えた。一日居ても陣の前を通る人はほとんどなく自然を満喫したものだ。
昼は集落に戻り蕎麦屋で300円の大盛り焼きそばを頼む。通常の50円増しで倍の量だ。おじさんとおばさん二人でやっている小さな蕎麦屋(現在の竹の子食堂)で、店の壁一面に訪れた人の名刺やメモが張ってあった。味付けとなる唐辛子入りの泡盛や、ピーヤシに出会ったのもここである。
ピーヤシは胡椒科の香辛料で年2回採れる。瓶に詰めてあり、季節に40~50個位がいいところだそうである。残念な事に最近は島で採れるピーヤシ(ピパーツ)の実が非常に少ない。
余談ではあるが、石垣島や竹富島で売られている竹富島特産と書いてあるピパーツは原材料が台湾産や別の島の物も多い。
また、星の砂も同様で、30年位前まではカイジ浜やアイヤル浜にはいくらでもあったが(両手ですくえたほど)今は全くない。土産物は全てフィリピンから輸入している。カイジ浜ではそれをパラパラ撒き客に拾わす。こんな演技をしなければならなくなったのだ。
星の砂は有孔虫の殻である。環境破壊が進む今竹富島に流れ着く星の砂はない。
コンドイに出る手前で道は左右に分かれ、右はニーラン、左はカイジ浜となる。カイジに行く道にはその当時から閉鎖されたリゾートがあった。どうも此処はリゾートには鬼門の様で、それ以来何度か開業しているところを見た事があるが大概一年で終わっている。
2014年にリゾート建設の話が再浮上している。どうやら那覇の業者のようであるが、はたして来島するお客様を満足させる施設が出来るかどうかは分からない。

 

その頃の民宿の話
冷たいさんぴん茶を頂き部屋に戻ると借りた内箒で掃除を始める。4~5日の滞在でまずこれをやる。貰った古新聞紙を濡らし、ちぎって畳に撒きそれを箒で集める。埃がよく取れるのだ。次に半間の二段押入れを開け布団を部屋干しする。
おばさんもニコニコ見ている。これから使う布団なのでこんなことは当たり前でちっとも苦ではないのである。
夕飯時は特に楽しい。当時はサバニ(小さな船)で毎日漁をするオジが何人かいた。勿論竹富島のリーフ(サンゴ礁)内でだ。その為、夕飯の煮魚などの種類や大きさなどは隣に座った客人と違うのだ。大きければ得をしたような気持がしたものだ。
風呂はどこの民宿も同じで順番待ちがあった。当時は今以上に水は貴重な物との認識が島人や客にあり、風呂桶のお湯などは最後まで入れ替えることはなく使ったものだ。しかし、最近はそうではないらしい。残念な事だと思う。
夕飯の宴も終わり宿泊客達と西桟橋に向かう。夜道は今よりも暗い。2月の下旬頃だったと思う。桟橋に出た我々はきらきらと海面光る物を辺り一面に見た。夜光虫(プランクトン)かなと思ったらそうではなかった。満天の星が海に映っていたのだ。そんな事がありうるのか。海面の高さ、空の暗さ、満天の星、そしてこの時期にサンゴ礁を覆った藻やアオサが海面を鏡の状態にしていたのだ。西桟橋周辺の海面は鏡になっていたのだ。みんな言葉もなく、ただただ感動して時を忘れていた。それ以来何年も期待を込めて桟橋に行くのだが、海面の星はこの夜だけのものだった。

 

竹富島の宿の話
竹富島にはハブ、ムカデ、ダニ、藪蚊、サソリ、ゴキブリなどなど嫌われ者が多い。竹富島は東南アジアのリゾートホテルのように大掛かりな殺虫処理日を作り、殺虫剤を満遍なく噴霧する事はできない。そのため宿やホテルは手の届く範囲で庭を造り、緑を演出する。樹木の下草などは害虫の棲み処となるので手入れは怠らない。庭が狭くてもこれを怠るとお客は害虫の餌食となる。まして手入れの出来ない広い庭は床下のない畳部屋と同じで竹富では条件が合わないのである。島のリゾートや南国風の庭を売りにするホテルは毎日の掃除や手入れに時間も人件費も必要以上に掛かってくる。満足にやるやらないは別として、それが宿泊価格に反映する。
客室の南面の大きな窓ガラスも八重山の気候に合わない。内地の住宅のように室内の明るさに重点を置いたものであるが、八重山の直射日光を甘く見ている。冷房効率も悪く、宿泊価格に跳ね返る。掃除の大変さを考えていない。雨や風、土埃の多い竹富島では、窓ガラスの掃除は大変なのだ。元来、集落内の昔からの住居は建物自体が低く、南面の軒は長くできている。これが直射日光を遮る。こういう考えが伝統的建造物であり、外見だけをまねて建てたものとは違う。しかし、リゾートの宣伝文句は「伝統的建造を忠実に」となる。

 

竹富島の赤瓦屋根
竹富島で最初に赤瓦屋根の家屋が建てられたのは1905年(明治38年)であるが、大正に入ってから徐々に普及したものの、1964年(昭和39年)においても主屋の約4割は茅葺のままであり、赤瓦の家屋の建築が盛んになったのは1970年代以降とされる。しかし、住居としては赤瓦よりも注目すべきは室内の畳である。実は畳もこの年代に近い導入である。そもそも八重山の気候には畳は合わない。湿気が多く畳はカビが繁殖するしダニや蚤の棲み処になるからだ。その昔は一番座も二番座も板敷であった。その方が居住には良かったのだ。現在でも同緯度である台湾には畳様式の生活はない。勿論東南アジアには皆無である。どうしても畳を敷きたい場合、最低限必要な床下(日本家屋は通風のため50~60センチの床下を設け四季の温度調節や畳の保護をしている)を作る必要がある。床下を作らないで地面から少しばかりの立ち上げでフローリングや畳を敷いている床は、床下地面に石灰や炭を満遍なく撒くと湿度調整に効果があるが、そうしたところは稀である。

 

伝統的建造物群保存地区
竹富島の水牛車観光の車夫のガイドの話を聞くと、観光客の方はあたかも文化庁の人間が来島して、ここは素晴らしい、伝統的であると感銘して、伝統的建造物群保存地区の指定したかのように思われるが、そうではない。詳細は下記の文言にあるように、県や市町村が申請して、文化庁の担当審議官(特別な有識者ではない)が来訪して、決めるというものであり、市町村側は審議官に選定されるよう、学識経験者などにお願いをして、申請をする場所の保存事業の計画案などを作り、文化庁の審議官に説明をしたり、色々ともてなし、結果を得たのである。竹富島の選定年月日は昭和62年4月28日である。              
余談だが沖縄本島で伝統的建造物群保存地区に選定されたのち、何年かして伝統的建造物群保存地区の取り下げを申請し、解除されたところもある。住民の生活を第一とした理由であると聞くが、竹富島と違い観光誘致目的が思っていたよりもうまく進まず、規制ばかりが残り、生活がしずらいという事が原因である。
昭和60年頃から学識経験者の下で竹富島の景観形成マニュアル作成に携わっていた九州芸術工科大学助手のN(現・北海道大学)などは今でも竹富島の保存計画書の作成などに関わっており、名前を連ねるが、建築業界と長い付き合いがあった私はどうもこの手の学者を理解できない。島の保存を真摯に考えるならば、Nが当時建築設計に関わった「竹富東港屋根付き歩道」「竹富島公民館」の設計で中国産の赤瓦や大理石を壁に使うことが考えられないからだ。何億(事業全体)もかけた竹富東港屋根付き歩道などは完成後利用したのは12~13年程度で解体された。塩害により、中国産の赤瓦が解けたり、コンクリートの柱や棟の部分が崩れ落ちたのだ。そもそもNが建築設計の実績がどれだけあったのかは定かではないが、大学の助手という机上の経験だけとすれば設計を受けた責任は大きい。竹富島公民館は今でも外見は見られるので、大理石の壁が島の景観に合うかをご覧になりたい方は行くと良い。
(追)令和2年に刊行された竹富島景観形成マニュアル等には編集者にNの名前が記載をされてる。そのマニュアルの中には、1994年の竹富島景観形成マニュアルに記載されている「竹富東港屋根付き歩道」の図面や建築記録などすべて記載がなく、すべて削除されている。景観を重視して完成させてものであるならば、当然記録として残すべきではあるのだが、真意は分からない。

------------文化庁の文言
【昭和50年の文化財保護法の改正によって伝統的建造物群保存地区の制度が発足し,城下町,宿場町,門前町など全国各地に残る歴史的な集落・町並みの保存が図られるようになりました。市町村は,伝統的建造物群保存地区を決定し,地区内の保存事業を計画的に進めるため,保存条例に基づき保存活用計画を定めます。国は市町村からの申出を受けて,我が国にとって価値が高いと判断したものを重要伝統的建造物群保存地区に選定します】。
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伝統的建造物群保存地区に対する率直な思い。
先の項で、あたかも文化庁の人間が来島して、ここは素晴らしい、伝統的であると感銘して、伝統的建造物群保存地区の指定したかのように思われると書いたが、一概に的が外れているとも言えない。文化庁の審議官とて一介の担当者であって、客観的にものを見て判断をするからである。また、竹富島の集落にはその要素がある。こういう客観的な判断が後々問題になってくるのである。
客観的判断と実態の判断は別にすべきと常々思ってる。1994年の作成された竹富島の景観形成マニュアルの中身を見ても、現存する竹富島の民家で伝統的建築方法(沖縄本島の様式)で建築された家は2割に満たない。島の景観にとって大切な石垣も本来の野面積みだけではなく、コンクリートを使いサンゴ石灰岩を張り付けた石垣も多く見られる(南側の仲筋集落ではほとんど見られない)。特に東港から集落に上がってきた舗装道路に周辺に多く、小中学校の石垣塀もそうなっている。ちなみに、海外の世界遺産地区にある石垣などは決してこのようなことをしない。岐阜県の白川郷の様に、伝統的建築物を継続する技術、人材の育成、継承に必要な材料の生育や管理が出来ていないことも問題であるが、そもそも、その類が住民に継承されていない事に文化庁が問題意識を持たなかった事が理解できない。

 

 

さぷな家の独り言
昨今、高級(高額)ホテルを一流ホテルと思い旅自慢する旅人が多い。その向きが竹富島でリゾートホテルを選ぶ。私の経験した世界のうっとりとするホテル(高級ではなく一流ホテル)よりも高い宿泊価格である。例えば「島のリゾート」という条件で比較しても、マニラから専用ジェットで行くプライベートアイランドに建つホテルより高い。インドネシアやタイの島々の隠れたリゾートよりも高い。また、物価の高いアメリカやフランス圏の島のリゾートよりも高い。勿論、それなりに内容が伴えばいいのだが、残念ながら、海外リゾートの立地条件、付帯設備、サービスとは雲泥の差がある。    
では何故、そこを向きが選ぶのか。それが冒頭の高級(高額)ホテルを一流ホテルと思い、自身のステータスに繋がるかのように勘違いをしているからである。いや、そう思い込まされるホテル側のHPやTV、SNS利用した宣伝にあるのかもしれない。兎に角、健康食品や化粧品のTVコマーシャルの様な巧みさであることは間違いない。
高級(高額)ホテルと一流ホテルとは違う。部屋や庭の広さ、食事の素材や調度品のメーカーを題目に挙げるのは高級(高額)リゾート。お客様個人を理解してサービスできるのが一流ホテルである。

 

さぷな家の話
さぷな家は竹富島の景観に溶け込むよう設計をした。特に旧館は建物の配置や窓の位置、設備(空調)の位置はそれぞれの意味を持った場所にある。住居の基本は空気調和と採光(色彩)である。家具や調度品はそれに合うものを選べはいいことで、ブランド品の必要はない。一番大切なことは迎えるお客様それぞれに演出ができるかという事。そういう意味もあり、さぷな家は部屋別に年齢制限などを設けてきた。必要以上に宿泊前にメールでご連絡をさせて頂くのも、お客様が無事に竹富島に到着され、楽しい思い出を持って帰宅されることを願っての事でもある。
さぷな家のスイートルーム(新館)はこの島の宿としては少し贅沢な空間だなと思っている(オープン時は特に)。採光を少なめにした南側の寝室、天井の高いリビング、アウトバスのあるウッドデッキ、バストイレの開放的空間、清潔度ではどこにも引けを取らないと自負している。また、立地は集落内の利便性が高い。西桟橋も歩いて4~5分である。仮に、島内のリゾートの宿泊価格が現代の常識であるとするならば、さぷな家の宿泊価格は今の5~6倍になるのだが、そんな暴利のために建てた宿ではない。
竹富島でプールを作ったのはさぷな家が初めて。離れで戸建の客室コテージもさぷな家が初めて。リネン類を石垣の業者に依頼したのもさぷな家が初めて。宿泊予約サイト『じゃらん』を利用したのもさぷな家が初めて。島でゲストハウスと付けたのもさぷな家が初めて。因みに八重山で民家に地下室を作ったのもさぷな家が初めてである。何もかも初めてで風当たりも強かったが開業当初から多くのお客様から共感を頂いた。
現在のさぷな家はスイートルームのみの営業で、旧館の小さなプールやコテージのある棟は10年前に売却して、今は別な宿名で営業をしている。
初めての中で消滅しているのはじゃらんサイトの利用とゲストハウスという名前であり、訳を話せば長くなるのだが、大まかな理由は竹富島島内にゲストハウス何々と多くなったこと。じゃらんサイトは企業のポリシーが失われたこと。リクルートじゃらんとさぷな家ほぼ同時に発足した。私が銀座のリクルートに出向き、リクルートにも実際さぷな家に来ていただいた。そうしなければ契約をするつもりがなかった。他所は他所(電話だけで契約をするところもある)で、さぷな家は宿を見てもらってから契約をすると言う事は譲らなかった。当時、リクルートもその時点ではしっかりしたポリシーを持っていた。その後、楽天トラベルに国内の宿泊業績を抜かれたリクルートは様変わりし、当時のような考えはない。宿を電話で漁り、契約書類を送り掲載をしている。私はこの事がどうしても許せなく2009年にリクルートから手を引いた。

 

教訓から学んだ宿泊規定
開業2年目のさぷな家のDXルームでの事で、女性2名のお客様が事もあろうに島内の水牛車観光の社員を招き入れ騒いでいた。二泊予定のお客様には一泊で翌日チェックアウトして頂いた。
観光会社の社員は経営者から厳重な注意を受けた。竹富島の民宿は経営者の自宅でもあるのだ。
その後、さぷな家の宿泊規定の中に宿泊者以外の出入りをお断りする文言と、万一その様な事(宿泊者以外を招き入れる)があった場合、即日チェックアウトをして頂くとの内容を記載させて頂いている。宿の敷地内には他のお客様の空間でもあり自分たちだけのものではないのである。
これも開業2年目の事。女性2名のお客様が庭に客席のある食事処に夕食を食べに行き、泡盛を調子よく飲んだらしく(飲まされた)、ぐでんぐでんに酔い島人に送られてきた。店では酔っぱらった挙句、庭の白砂までおいしいと言って口に入れたというのだ。
勿論、翌朝の食事など口に通らず無言で帰られた。その後、さぷな家の宿泊規定の中に女性のみのお客様には門限を設けさせて頂き、遅くなる場合は必ず電話を頂くようにしている。どこで何をしているかが分かれば迎えに行くこともできるからだ。
7~8年前、子猫を拾い(野良猫)部屋に入れ、翌朝子猫のミルクを要求したイタリア人が宿泊した。また、動物を入れる籠が欲しいとも言われた。残り2泊の予定であったが、子猫を元のいた場所に戻すか、宿をチェックアウトするかの何れかをお願いしたが、最終的には石垣島の宿に移動をされた。その後、この件をトリップアドバイザーに載せて、最悪の宿と評価した。そして、その本人のコメントでは、その後猫をイタリアまで連れて帰り、楽しく暮らしていると載せていた。だが、そんなことはあり得ない。動物検疫というものがあり、海外動物を移動させる場合は予防接種などもあり、最低ひと月(野良猫の場合は2回の接種が必要なのでもう少しかかる)はかかるからだ。SNSに載せ自分を美化した談話。この方も新婚旅行で来られた20代後半の女性であった。どうして嘘までついてコメントをするのか寂しいことである。

 

さぷな家の朝食
さぷな家を開業する1年前(2000年頃)から石垣島の農家巡りをして、美味しい果物を求めた。勿論、なるべく農薬を使っていない農家だ。
2011年に石垣島にファーマーズマーケットがオープンして知り合いの農家も出荷しているため仕入れが少し楽になっつたが、それでもお客様にお出しする果物の半数は農家から直に仕入れていた。頑固な親父ほどマーケットに出していない。
果物の物仕入れは簡単なようで難しい。熟す食べごろの見極めだ。また同じ果物でも沢山の種類がある。バナナは5種類、パインは7種類、パパイヤは5種類、ドラゴンフルーツは白が2種類赤が3種類、黄色が1種類、スイカは3種類、マンゴーは5種類、パッションは4種類、スターフルーツは2種類、レンブは3種類、グァバは3種類、釈迦頭は3種類・・・・・まだまだ沢山ある。全てさぷな家では使う。パンや野菜も然りである。
良く、島野菜をふんだんに使うとかいうホテルのコピーを目にするが、八重山で野菜の美味しい時期は2月から6月であり、その後は内地物が主流となる。時期に旬な地物を使うのは当たり前である。それよりもなるべく農薬を使わないものを仕入れる方が大切だ。ブロッコリーひとつとっても味は格段違うし安心なのだ。柑橘類はなるべく国産を選ぶ。
★こんなに苦労して提供していた朝の朝食もイギリス人の女性の口コミで一気に肩の力が抜け2017年から止めることにしたのである。原因はいたって簡単。うまいまずいではなく、高いと酷評されたから。ちなみにその頃のメニューはオーダーパンが2種類、八重山の果物が7~8種類、自家製のソーセージと地鶏卵にやはり7~8種類に野菜、オーガニックコーヒー、ニュージーランドバター、100%ジュースで1500円の設定であった。恐らくどこかのリゾートでこのメニューを出せば8000円~は取られるが、問題は出せるかである。いつ頃どこの農園に行けばおいしい果物が手に入る。手間をかけてソーセージを作る。こんな芸当は採算を考える企業には出来ない。
イギリス人の女性にしてみれば、東南アジアのつもりで沖縄の離島を考えていたのかもしれないが、私にしてみれば、他人の一言で、何かが吹っ切れるとは思ってもいなかった。ちなみにその女性は1日500円で貸していたレンタサイクルも高いと評価した。その頃の竹富島のレンタサイクル店の1日貸しは1500円である。

 

宿泊日数について
さぷな家では通年2泊以上のご宿泊をお願いしている。1泊の場合、竹富島に来る船に乗り、チェックインして(14:00)、荷物をあけ、また翌日荷物をまとめ、アウト(10:00)して、また船に乗り、他の離島へ行く、とても大変ことなのだ。
竹富島以外でも同じで、初めての旅行だととどうしても島をたくさん廻る事を考えてしまう。竹富島以外の離島は船で片道25~60分位掛かる。悪天候の時にはもう少し伸びる。この状態で離島に着き宿の迎えや送り時間、また船の時間を考えると、さぷな家ではどの島でも2泊をお勧めしいる。
波照間や鳩間島は船の便が悪く、また欠航も多いので、宿泊は旅行の初めに計画することをお勧めしている。
全体の旅行が3泊4日位だと中日が2日しかないので、仮にそのようなご予定の場合、八重山の情緒を味わうのであれば石垣島を含め2島巡りがベストとアドバイスをしており、のんびり、ゆったりするご計画をお勧めしている。

宿の心得
宿で一番大切なことは「みがく」事だと思う。接客態度を磨く、言葉遣いを磨く、調理の腕を磨くといったことは当たり前で、近年、ホテルや旅館に一番欠けていることは設備や部屋を磨くと言う事だ。
原因は職種が分業されていたり、下受け任せになっていたりすることもその一つだが、統括して管理する人材がいないという事が一番で、上役の様子みながら働くどこぞの国の役所と同レベルなのだ。総合的なノウハウを持たないのだ。
この事は私自身が行く先々のホテルや旅館などでも受け取れる。そういう宿に限ってHPなどに多くの演出をしたり、調度品に目を向けさせている(ベットがどこどこ製とか、何々のシャンプーだとか)。
さぷな家の旧館開業時から本当によく磨いた。毎日毎日のガラス磨き、ベットを上げて床磨き、便座を外してトイレ掃除、上掛け布団の日干しや風通し、水栓や配管の乾拭き、浴槽カーテンの洗浄、扇風機や照明の掃除、庭の草取り、小道の清掃、建物周りの清掃・・・などなど。掃除の時間が本業なのだ。磨くことを2~3か月サボるともう後へは戻れない。勿論、現在のさぷな家(スイートルーム)も磨いている。
清潔な宿に泊って頂くこれがの宿命ではないだろうか。細かなところはコツコツ直す。10年経っても新品の様に磨き上げることが出来たのも建物への愛着がそうさせたのかもしれない。
一昔のテレビでは、ホテルや旅館を舞台にしたドラマに、必ずと言っていいくらい重箱の隅をつつく女将さんや女中頭が出てきたが、今の時代、そういう人材がもっとも必要ではないだろうか。

 

さぷな家の建物の話
旧館は2013年に譲渡して、今は別な宿名で同じ集落にある。

1999年の春頃から安里屋の母屋を間借りして、さぷな家の原設計を書いていた。何もない土地の上に建物を設計をして立ち上がるまでの時間はとても楽しく幸せで労を忘れる。前記の「さぷな家の話」では旧館についても建物の概要を話したが、建物には外見とは違う思いがある。
特に小さなプールのあるさぷな家旧館を設計した時は、友人家族を招き過ごしたいと言う思いで設計をした。敷地内にあるプールも水着になるため、さぷな家に近い「なごみの塔」からも見えないように配置をして母屋で隠れるようにした。
敷地は母屋とコテージが2棟。これも竹富島の建物配置を考慮したものだ。それは3棟とも東西南北面に窓か扉があるという設計で風がすべて通る設計にしてある。
人が屋内で過ごす上で空気の調和は最も大切な事であり、窓は只の明り取りであってはいけない。また、それぞれの窓や扉はそこからの眺めを考えなければ建物の価値は無い。それぞれの部屋からそれそれの建物眺めが大切なのだ(残念ながら、東側は完成2年後に食堂が出来、塀を作ることになったが)。
お客様をお泊めするのに清潔なお部屋やお食事も大切であったが、私のコンセプトの中には宿泊された家族が見守る中で子供たちがプールで遊ぶ姿や、夜、子供たちが寝た後に縁台でのんびりする親の姿があった。
建設の時に植樹した木々の成長が待ち遠しく、開業して3年目頃からやっとテーブルや縁台に影を落としイメージの外観や庭が出来たと思ったものだ。どの窓や扉からでも見え、風通しなどを適度に維持するのは大変な事だ。それを怠ると木々はすぐに光を遮断し建物に害を及ぼす。また、竹富の場合、樹木の周りや下草を処理しておかないと害虫ややぶ蚊の溜まり場となる、これが一番いけない。とても面倒ではあるがこれらのていてはとても大切な事である。

現さぷな家はプールや離れはないがコンセプトは変わらない。

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さぷな家のHPは自分でも味気のないものだと思っている。知り合い曰く、もう少しバージョンアップをすれば集客が増えるという。要はHPの演出である。それが出来ない訳がある。必要以上の演出はお客様の楽しみを奪うような気がするからだ。旅の楽しみは未知の部分があるから楽しいのだ。宿も然りである。

 

 

独り言 番外
ギザのピラミッドをバックに行われたナイトショーを見に行く。ガイドなしのフリーでタクシーで駆け付けた。昼間じっくり見たのに、どうしても、もう一度近くでと思ったからだ。
ライトアップされたピラミッドに再び酔いしれた夜だった。
エジプトの旅は子供の頃からの夢だった。人類が作り上げたもので自然の驚異に劣らない数少ない創作がピラミッドなのだ。あれからもう30年が経つが、未だに再訪の旅を考えている。
36年前、私は竹富島の景観や集落、伝統行事には殆ど興味がなく、テレビで放映された青い海をどうしてもこの目で見たいという気持ちで訪れた。旅の目的も場所によって変わるのだ。

 

コロナ禍の話
2020年~、新型コロナウイルス感染症が世界中に蔓延している。日本の政府も後手後手の対策で右往左往している。莫大な税金の無駄な出費に気が付くのは何時の事で誰が止めるのだろう。感染者の数や死者の数をただの数字にとらえて、報告する政治家が哀れでならない。 宿泊施設の意見とは思えないと言われても、go-toトラベルはやるべきではないと私は言ってきた。go-toトラベルでなくても地域クーポン(色々使える)を何らかの形で発行し、すべての国民に平等に行き渡る様にしてもらえばと思う。旅行に行けない人、生活が困窮している人が大勢いる事を忘れてはならない。旅行サイト、高額リゾート、高額旅館、地方のコンビニなどだけが一人勝ちしたのでは何の意味もないのである。